大事な人を亡くしました。
肺ガンで昨年末より闘病中でしたが、10月1日旅立っちゃいました。
今日の昼休み、新聞のお悔やみ欄で知りました。
すでにご葬儀は終えられていて。
友人の回復を信じていたのは本当ですが、どこかで覚悟をしていたのも事実です。
私と彼はネットで知り合い、
共通の知り合いもいないのでご家族から連絡はいただけないだろうと思っていましたので
何気なく気にしてはいました。
土日は新聞を読まないこともあったので毎日ちゃんとチェックしてたわけではないのですが。
名前を見つけて、あぁ、と思いました。
48才…今年47才やのに数えで書かれるのか…とか、
15分ぐらいは、あ、私意外と冷静だな、と思いましたが、
やはり涙が出てきて、仕事にならないので早退しました。
帰宅して、
泣いて、ぼんやりして、泣いて、泣き疲れてうとうとして、また泣いて。
こんなに悲しいのに喉はカラカラになってお茶飲まないといけないし、
あぁ昨日大量に作ったポトフ食べなきゃと無理矢理食べて、でも味しないし、
こんなに悲しいのにトイレにも行きたくなるし、
生きるって面倒だなぁと思ったり、
でも生きるってこういうことかぁと哲学的になってみたり。
****
私と彼の出会いは、3年前の8月。
簡単なプロフィールと日記のサイトでした。
私の大阪出身北海道在住というプロフィールを見て、メッセージをもらったのがきっかけです。
年齢はちょうど一回り違うのですが、
彼も就職で数年間関西に住んでたこと、
バイクが好きだということ、
お寺や仏像が好きだということ、
温泉やツーリング、食べることが好きだということ、
お互い長い恋愛を終わらせた後だったこと、
彼は日高地方在住で、私は学生時代に何度も新冠と静内をママチャリで走り回り、
その後えりもに通い、やたら日高に詳しいこと、
私が昔から馬好きで、彼は馬牧場を経営してるということ…
などなど共通の話がたくさんあって、毎日メールしてました。
パソコンから携帯メールになっても毎日。
40半ばのおっちゃんやのに、私よりデコメ使いまくりで私は超シンプル
長いメールをやりとりしていたので、文通のようなものでした。
下手すりゃ1日3通とか…ヒマなんか!って思ったことも。(笑)
ご飯でも食べたいね、って話が出るもなかなか進まず、
初めて会ったのは1年3ヵ月後。
彼が生き物相手の仕事なので時間が合わなかったり、親御さんの体調が悪かったりで。
結局札幌で2回か3回、私が去年のGWにえりも帰りに牧場に伺って15分程度会ったっきりかな。
初めて会ったときからとても自然な雰囲気で、
メールでもとても優しい人で、自分が風邪や偏頭痛でしんどい時でも私のことをいつも気遣ってくれて。
それは、想像できないぐらいしんどい抗がん剤治療の時や亡くなる間際まで変わりませんでした。
「体に気をつけてくださいね」←お前がな!と何度心の中でツッコんだか。(笑)
そんな人ですからね、私もこっそりお慕い申し上げてた時期もありまして。エヘッ(*´ω`*)
あぁでも指1本も触れてないのよ!プラトニック!!
まぁ伝えられないまま、なかなか会えないままで気持ちもフェードアウトするわけですけども。
それでも普段から中学生の文通のようなメールばかりで
色気のある会話をすることはなかったので、お友達としてメールは続けておりました。
去年の初めぐらいからかな、咳がよくならないと。
結構ひどいようで、なかなか札幌に来れなくて会えずにいました。
喘息持ちだったそうなので、お医者さんで喘息の薬をもらってずっと飲んでました。
そんな中、2月ごろかな、凍った雪の上で転倒し、肋骨骨折
この骨折がなければ、もっと早く気付けたのかな。
秋になり、「ちょっと太ったのでウォーキングはじめたんですよ~」といたって健康的。
胸の痛みが長引いてるけど、骨折の痛みってなかなかひかないのねーとか。
咳治らないからお医者さんにいって喘息の薬変えてもらったんですよーとか。
んで、私が「春になったらバイクの免許取る!」って言ったらすごい喜んでくれて。
一緒にツーリングに行こうねって。
あぁなんでもうちょっと早く免許取らなかったのかなぁ。
そして12月。
「ビッグニュースですよ!」と。
胸の痛みで大きい病院に運ばれたところ、胸に水が溜まってて、腫瘍があるとのこと。
おい!誰よ、喘息って診断したの
おそらく、骨折のせいと思ってた胸の痛みも、ガンのせいだったのかも。
骨折がなければもっと早く気付けたのに。
ってか、なんで肺ガンなのさ!!!
タバコ一切吸わない人なのに!!
お酒も飲めないし、仕事柄体もよく動かすし、何が悪いの?
他のガンだってよかったでしょ?
タバコガンガン吸って不摂生で、悪いことしてる人だってたくさんいるでしょ?
なんでこんな誠実でいい人に乗り越えられない試練を与えるの?
その時は、良性だろうということで、
札幌の病院に転院になるも自分で行けと言われて、自分で運転してきはりました…
誰よ、良性って言ったの
悪性でした。
右肺にガンがあり、背骨に転移。
手術はできないので放射線と抗がん剤治療でと。
お見舞いに行きたかったのですが、上記のように友人というには微妙な関係で躊躇していました。私も泣いてしまいそうやし。
お見舞いの話をしたら、1月に抗がん剤治療するから、それが終わって落ち着いたら来てくださいと。
その後体調が良くなることはなかったのですが「元気になったら~しようね」を繰り返すので、あまり会いたくないのかなぁと。
私だったら、しんどいし、自分のしんどい姿見られるの嫌やしね。
Tさん意外と見栄っ張りやしな
5月に退院し、自宅療養となりました。
体力も落ちて敷地内を散歩することを心がけてたようですがそれさえも難しい日もあり、
レースに出るほど車好きなのに普段の運転もできないぐらいで、体力もなかなか戻らず。
月に1度の定期健診は、可もなく不可もなく程度で夏が過ぎていきました。
私はバイクの運転がうまくならないのを言い訳に、えりもにも行かず。
行ったら、通り道なんだからお見舞いに行かないわけにもね。
散歩もできないぐらい具合悪いときもあったし、
でも札幌から行くって言ったら無理をしてでも会ってくれそうな人だったから、余計行けなかった。
そうそう、彼とのメールでは、一度もガンの進行具合(ステージ?とか)を話題にしたことはありませんでした。
だから入院当初にどれほどだったかわからないけど、
さすがにこれだけ回復しないとなるとさすがに少しは覚悟しないとなぁとわかるもんです。
9月、再入院。左肺に転移。
でもね、亡くなる4日前にくれた最後のメールにも、
負けませんよ、ふんばりますって書いてありました。
彼は最後までがんばっていました。
****
一緒にご飯食べた時の氷でツルツルの駐車場でも、砂浜でも、
いつも先々歩いていくんだからねぇ。
追いつくのが大変だったなぁ。
今度は私を置いて一人で行っちゃって。
背が高くて足が長い分、私より12歳も年上な分、
歩くのも人生ももう少しゆっくり合わせてくれてもよかったんじゃないの?
会いたい。
たくさんメールはしたけれど、会ったら話そうって思ってたこともたくさんあるんよ。
Tさんちで生まれた仔馬たちは普段なかなか勝てないけれど、ここ数レース、たくさん勝ってるよ。一緒に喜んであげないと。
Tさんいなかったら、誰が私の携帯鳴らすのさ。もう全然鳴らんくなりますやん。
誰が毎日「仕事がんばってね~」って言ってくれるのさ。
私まだ、「聞いてーJADEこかしてブレーキレバー曲がったぁぁぁ
」って報告してないよ…
10ヶ月、がんばったね。
出会ったおかげで楽しい毎日でした。
最後にこんな辛い思いをするとは思わなかったけど。
ありがとう。
恋愛関係にはならなかったけど、ちょっとしか会えなかったけど、運命の人の1人だと思ってます。
私をこんなに泣かせたことは許さないけど、
空から私の運転を見てずっとハラハラするがいいさ
肺ガンで昨年末より闘病中でしたが、10月1日旅立っちゃいました。
今日の昼休み、新聞のお悔やみ欄で知りました。
すでにご葬儀は終えられていて。
友人の回復を信じていたのは本当ですが、どこかで覚悟をしていたのも事実です。
私と彼はネットで知り合い、
共通の知り合いもいないのでご家族から連絡はいただけないだろうと思っていましたので
何気なく気にしてはいました。
土日は新聞を読まないこともあったので毎日ちゃんとチェックしてたわけではないのですが。
名前を見つけて、あぁ、と思いました。
48才…今年47才やのに数えで書かれるのか…とか、
15分ぐらいは、あ、私意外と冷静だな、と思いましたが、
やはり涙が出てきて、仕事にならないので早退しました。
帰宅して、
泣いて、ぼんやりして、泣いて、泣き疲れてうとうとして、また泣いて。
こんなに悲しいのに喉はカラカラになってお茶飲まないといけないし、
あぁ昨日大量に作ったポトフ食べなきゃと無理矢理食べて、でも味しないし、
こんなに悲しいのにトイレにも行きたくなるし、
生きるって面倒だなぁと思ったり、
でも生きるってこういうことかぁと哲学的になってみたり。
****
私と彼の出会いは、3年前の8月。
簡単なプロフィールと日記のサイトでした。
私の大阪出身北海道在住というプロフィールを見て、メッセージをもらったのがきっかけです。
年齢はちょうど一回り違うのですが、
彼も就職で数年間関西に住んでたこと、
バイクが好きだということ、
お寺や仏像が好きだということ、
温泉やツーリング、食べることが好きだということ、
お互い長い恋愛を終わらせた後だったこと、
彼は日高地方在住で、私は学生時代に何度も新冠と静内をママチャリで走り回り、
その後えりもに通い、やたら日高に詳しいこと、
私が昔から馬好きで、彼は馬牧場を経営してるということ…
などなど共通の話がたくさんあって、毎日メールしてました。
パソコンから携帯メールになっても毎日。
40半ばのおっちゃんやのに、私よりデコメ使いまくりで私は超シンプル

長いメールをやりとりしていたので、文通のようなものでした。
下手すりゃ1日3通とか…ヒマなんか!って思ったことも。(笑)
ご飯でも食べたいね、って話が出るもなかなか進まず、
初めて会ったのは1年3ヵ月後。
彼が生き物相手の仕事なので時間が合わなかったり、親御さんの体調が悪かったりで。
結局札幌で2回か3回、私が去年のGWにえりも帰りに牧場に伺って15分程度会ったっきりかな。
初めて会ったときからとても自然な雰囲気で、
メールでもとても優しい人で、自分が風邪や偏頭痛でしんどい時でも私のことをいつも気遣ってくれて。
それは、想像できないぐらいしんどい抗がん剤治療の時や亡くなる間際まで変わりませんでした。
「体に気をつけてくださいね」←お前がな!と何度心の中でツッコんだか。(笑)
そんな人ですからね、私もこっそりお慕い申し上げてた時期もありまして。エヘッ(*´ω`*)
あぁでも指1本も触れてないのよ!プラトニック!!
まぁ伝えられないまま、なかなか会えないままで気持ちもフェードアウトするわけですけども。
それでも普段から中学生の文通のようなメールばかりで
色気のある会話をすることはなかったので、お友達としてメールは続けておりました。
去年の初めぐらいからかな、咳がよくならないと。
結構ひどいようで、なかなか札幌に来れなくて会えずにいました。
喘息持ちだったそうなので、お医者さんで喘息の薬をもらってずっと飲んでました。
そんな中、2月ごろかな、凍った雪の上で転倒し、肋骨骨折

この骨折がなければ、もっと早く気付けたのかな。
秋になり、「ちょっと太ったのでウォーキングはじめたんですよ~」といたって健康的。
胸の痛みが長引いてるけど、骨折の痛みってなかなかひかないのねーとか。
咳治らないからお医者さんにいって喘息の薬変えてもらったんですよーとか。
んで、私が「春になったらバイクの免許取る!」って言ったらすごい喜んでくれて。
一緒にツーリングに行こうねって。
あぁなんでもうちょっと早く免許取らなかったのかなぁ。
そして12月。
「ビッグニュースですよ!」と。
胸の痛みで大きい病院に運ばれたところ、胸に水が溜まってて、腫瘍があるとのこと。
おい!誰よ、喘息って診断したの

おそらく、骨折のせいと思ってた胸の痛みも、ガンのせいだったのかも。
骨折がなければもっと早く気付けたのに。
ってか、なんで肺ガンなのさ!!!
タバコ一切吸わない人なのに!!

お酒も飲めないし、仕事柄体もよく動かすし、何が悪いの?
他のガンだってよかったでしょ?
タバコガンガン吸って不摂生で、悪いことしてる人だってたくさんいるでしょ?
なんでこんな誠実でいい人に乗り越えられない試練を与えるの?
その時は、良性だろうということで、
札幌の病院に転院になるも自分で行けと言われて、自分で運転してきはりました…
誰よ、良性って言ったの

悪性でした。
右肺にガンがあり、背骨に転移。
手術はできないので放射線と抗がん剤治療でと。
お見舞いに行きたかったのですが、上記のように友人というには微妙な関係で躊躇していました。私も泣いてしまいそうやし。
お見舞いの話をしたら、1月に抗がん剤治療するから、それが終わって落ち着いたら来てくださいと。
その後体調が良くなることはなかったのですが「元気になったら~しようね」を繰り返すので、あまり会いたくないのかなぁと。
私だったら、しんどいし、自分のしんどい姿見られるの嫌やしね。
Tさん意外と見栄っ張りやしな

5月に退院し、自宅療養となりました。
体力も落ちて敷地内を散歩することを心がけてたようですがそれさえも難しい日もあり、
レースに出るほど車好きなのに普段の運転もできないぐらいで、体力もなかなか戻らず。
月に1度の定期健診は、可もなく不可もなく程度で夏が過ぎていきました。
私はバイクの運転がうまくならないのを言い訳に、えりもにも行かず。
行ったら、通り道なんだからお見舞いに行かないわけにもね。
散歩もできないぐらい具合悪いときもあったし、
でも札幌から行くって言ったら無理をしてでも会ってくれそうな人だったから、余計行けなかった。
そうそう、彼とのメールでは、一度もガンの進行具合(ステージ?とか)を話題にしたことはありませんでした。
だから入院当初にどれほどだったかわからないけど、
さすがにこれだけ回復しないとなるとさすがに少しは覚悟しないとなぁとわかるもんです。
9月、再入院。左肺に転移。
でもね、亡くなる4日前にくれた最後のメールにも、
負けませんよ、ふんばりますって書いてありました。
彼は最後までがんばっていました。
****
一緒にご飯食べた時の氷でツルツルの駐車場でも、砂浜でも、
いつも先々歩いていくんだからねぇ。
追いつくのが大変だったなぁ。
今度は私を置いて一人で行っちゃって。
背が高くて足が長い分、私より12歳も年上な分、
歩くのも人生ももう少しゆっくり合わせてくれてもよかったんじゃないの?
会いたい。
たくさんメールはしたけれど、会ったら話そうって思ってたこともたくさんあるんよ。
Tさんちで生まれた仔馬たちは普段なかなか勝てないけれど、ここ数レース、たくさん勝ってるよ。一緒に喜んであげないと。
Tさんいなかったら、誰が私の携帯鳴らすのさ。もう全然鳴らんくなりますやん。
誰が毎日「仕事がんばってね~」って言ってくれるのさ。
私まだ、「聞いてーJADEこかしてブレーキレバー曲がったぁぁぁ
」って報告してないよ…10ヶ月、がんばったね。
出会ったおかげで楽しい毎日でした。
最後にこんな辛い思いをするとは思わなかったけど。
ありがとう。
恋愛関係にはならなかったけど、ちょっとしか会えなかったけど、運命の人の1人だと思ってます。
私をこんなに泣かせたことは許さないけど、
空から私の運転を見てずっとハラハラするがいいさ

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思い出は無敵です。これからはその素敵な思い出を大切に・・・。
ごめん、いい言葉が見つからないや。